牛や豚と共に歩んだ、
サニーサイド90年の物語

サニーサイドの歴史は、
日本の食肉文化と共にあります。

かつてはお肉を
自由に食べることができなかった時代があり、
文明開化以降は徐々に食肉が大衆化されていきました。
現在は安心安全の重要性が高まり、
さらにモノの豊かさからそのニーズが
“選食”へと変化しています。

90年間、三代に渡って食肉文化を守り
奮闘してきた歴史が、この会社にはあるのです。

サニーサイドの、伝えていきたい創業の想い。

サニーサイドの創業と
日本の食肉文化のはじまり

日本人のお肉を食べる文化を振り返ると、文明開化の頃。
明治時代になると、牛肉を食べることが文明開化の象徴と考えられ、牛肉を使ったすき焼きが流行しました。公に解禁となったのが天皇が豚や鹿、兎の肉を食べた翌年の1872(明治5)年のことでした。

日露戦争の折、牛肉の缶詰が兵士の携帯食糧として配給されました。これが牛肉大和煮ですが、兵役を終えてふるさとへ帰ってからその味を懐かしがり、都会だけの牛肉普及を全国レベルに広めることになったといわれます。明治後半には、牛肉は早くも不足状態になり、高価なものになりつつありました。これをカバーする意味で豚肉が市場に登場して庶民の間に普及し、豚肉の消費が伸びます。都市生活や軍隊駐屯場から出る残飯を餌として、養豚業が増加しました。

サニーサイドが創業したのはこの頃、明治41年。中田岩次が息子2人と共に金沢で「天狗中田」の屋号で食肉問屋を創業したことに始まります。初代・岩次の次男である中田甚造が大正15年に分家し、金沢市白銀町で「天狗中田商店」を興して、食肉販売を積極的に展開しました。特に中国から輸入した通称「青島牛」の枝肉販売では、北陸地方最大手にランクされたほどでした。

二代目の業況拡大と、
急増した肉食

昭和12年に始まった日華事変から昭和20年の終戦までの間は、軍事優先の食料政策のために規制となり、定着し始めていた肉食の習慣も中断。戦争直後の食料難時代を経て、米の生産向上によって豊かになった昭和30年から再び、急速に肉食が一般化していきました。肉は終戦直後ヤミ市に流れ、高値で取引されていましたが、昭和24年になってやっと食肉が小売店で公然と自由に買えるようになりました。豚の生産が戦前のピークにまで戻ったのは昭和31年のことでした。食肉の消費量においても、戦前を超えたのがこの頃です。

弊社は第2次世界大戦後の昭和23年に株式会社天狗中田商店へと法人改組、昭和32年に初代社長の中田甚造の死去に伴い、中田淳造が2代目社長に就任しました。昭和31年から始まる神武景気、経済復興から経済成長へ。食生活の欧米化や米・芋の消費減少に対して、食肉・乳・油脂の消費増大が加速します。経済的に豊かになった昭和30年代、明治の肉食解禁後ほぼ1世紀をかけて蓄積した食文化が、一斉に開花した感がありました。

消費者は次第に路面の食肉小売店から、食品スーパーマーケットでの食肉の購入へと変化していきました。弊社も食品スーパーマーケットとの取引量が拡大し、売上高も右肩上りに増えていきました。

輸入牛肉の解禁、
食肉の大衆化と高級化への分化

こうした食肉の大衆化により、日本人の食肉消費量は急速に増加しました。
昭和40年代後半には食生活の欧米化がピークを迎え、食肉の需要も増加。牛肉が輸入されるようになり、さらに昭和50年代から盛んになり始めたグルメ時代に呼応するかのように、国産高級ブランド牛肉が、その美味しさから人気を博してきました。

弊社は昭和56年、本社を白銀町(旧町名)から現在の南新保町へと新築移転し、社名も株式会社サニーサイドへと改め、同時に別会社の株式会社サニーフーズを設立し、食品スーパーマーケットの経営にも手掛けるようになりました。

昭和61年には当時ブームであった手作りハム・ソーセージの製造販売を開始。食品スーパーマーケットや大手GMS間の競合が厳しくなり、ディスカウント・ストアも出現。小売業は戦国時代を迎えることとなります。
昭和63年には、長年にわたり輸入規制品目であった牛肉が輸入自由化され、輸入牛肉の消費が急増します。弊社も昭和61年に米国ユタ州に、現地法人SunnySide International Inc.を設立。輸入牛肉の生産・販売の準備を開始しました。

サニーサイドの
安心・安全への強い想い

平成4年には空前のもつ鍋ブームをきっかけに、ホルモンが家庭用食材として需要が定着しました。
しかし、平成13年に日本でBSEが発症し、牛肉業界は大混乱を引き起こしました。この後、牛トレーサビリティ法が施行され、国産の牛は個体管理されるようになりました。

翌年には現社長の中田吉則が3代目社長就任。この激動の時期に就任した現社長は、より安全安心に食肉を提供していけるよう、様々な改善を行いました。その取り組みの結果、平成21年には石川県より食品衛生上構造設備とその管理運営を表彰され、平成24年に金沢市より自主管理認証制度(通称金沢版HACCP)の認定を食肉会社として初めて受けました。平成27年には、食品衛生優良施設の厚生労働大臣表彰も受賞しています。

これからの
食肉とサニーサイドの姿勢

健康、長寿を考えるときに不可欠なこと、それは良質なたんぱく質をしっかりと摂取することです。長寿県・沖縄では、たんぱく質源として豚肉がよく食べられています。

わが国の食文化は、植物型からバランス栄養型へと変化を遂げました。高齢化社会を迎えた日本において、骨を丈夫にしたり、血管を若々しく保つためにも食肉のたんぱく質はとても重要です。食肉のたんぱく質をいかに賢く食べるかが、これからの健康問題を考える上でもますます大切なこととなると私たちは考えます。

弊社はひと切れのお肉でも、安心して美味しくお召し上がりいただけるよう、日々尽力しております。良き伝統は守りながらも、新しいものに挑戦し続け、さらに新たな伝統をつくる。そして、地元の食肉文化を継承していきたい。私たちサニーサイドは、これからもそのような姿勢でこの食肉文化を継承・発展し続けていきます。